今でこそテニプリはやりたい放題だが、昔はもう少しまともに?テニス?をしていた。変則魔球があってもブーメランスネイクぐらいである。(菊丸分身したのいつだっけ?)しかし、その潮目が変わった伝説の試合があった。その伝説の試合について語りたいと思う。
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伝説の試合
河村隆ことタカさんは彼の最強の技である波動球を石田銀に放つのである。しかし石田銀こそが波動球の開発者であり、開祖だったのだ。そんな石田銀こと師範は逆にタカさんに対して波動球を打ち返すのであった。そう・・・ここが伝説のはじまりの場所である。このタカさんが波動球を師匠に食らったシーンから世界が変わったのである。波動球をくらったタカさんは血だらけになりコートに倒れたのであった。
この時点で、こいつやべぇ( ^ω^)・・・
となった読者は大勢いた。ここがこの漫画の到達点だと。
だがそんな幻想を打ち砕き読者を震撼させる言葉を師範は発っするのであった。
すでに血だらけなのに?百八まであるってどういうこと?
そして始まるのである、テニプリ読者を絶望に追い落とす試合が!
それは我々の想像を絶するものだった!
これが
これだよ?
今でこそテニプリ的には普通かもしれないが当時のテニプリはここまでのインフレをしていなかった!その衝撃的たるや言語を絶する状態である。
あれテニスって一体?人を殺したら勝つゲームだっけ?
20,30の波動球でこれ・・・?
百八までいったらどうなってしまうのか?
ごくり・・・( ;∀;)
しかしタカさんはそれでも戦う姿勢を見せていた。その姿に全読者は涙を禁じえなかった。漢だ・・・すべての読者がその姿に涙した。漫画とか現実とか関係ない!河村隆は漢だったのである。かくいう私も立ち読みすることをあきらめるほどであった。なぜならば涙があふれ出てしまい立ち読みなど不可能だと思ったのだ。この試合を立ち読みなどで済ませることは失礼に値してしまうと・・・
涙をこらえるためにお腹に渾身の力を入れジャンプを手に私はコンビニを立ち去ったのである。
みんなが思うことは一つだった・・・
百八までいったらどうなってしまうのか?死ぬ?死ぬの?
いや少年誌のテニス漫画だよ?
当時は色々な考察がネット上に溢れかえっていた。20~30でこの威力である。百八までいけば弾は光速にまで達しタカさんは粒子に変えるのだろうとか、ドラゴンボールみたいにビルを貫通するけど生きているとかさまざまである。
テニプリは当時はそこまで話題に上るような感じの漫画ではなかったのにここで一躍時の漫画になったのである。
タカさんのこの激闘があったからこそ今のテニプリがあるのだ!
漢タカさんの存在がテニプリと言っても過言ではないのである。
まとめ
テニプリ世界を代表する迷勝負である。見てない人は是非見て欲しい。